幼い頃から大人に好かれる子供だった。
幼稚園でも小学校でもそれ以降の学生生活も。
成績優秀、品方向性。模範生徒。
制服の着方の見本として学年300人の前に呼ばれたことさえあった。
ありとあらゆることに全力だった。
気を抜くのが苦手だった。
父親はDVのかたまり。気付いたのは小4の時。
それまでの記憶は非常に薄い。
推測では、恐怖に苛まれる何かがあった。
生きるために消した家庭での記憶。
6歳の子供にイラストを描かせず、ウサギはそんなじゃないと否定された。模写を求めるタイプだった。
喘息持ちのわたしに無駄にアスレチックに連れて行き、大人の体力と違うのに飲み物も与えず動き回らせたこと。
クラスで2番目に掛け算を覚えたのに、全く褒められなかったこと。音読を頭から全て暗唱したところで興味すら持たれなかったこと。
常に100点を求められていた。
父親にはできなかったことなのに。自分ができたことをせめて言えや、と常に反発していた。
まだ勉強したことないことを言ったら、習ってないとか関係ないと言われた。
理科だって算数だって国語だって、小学生レベルの内容わからないやつが。指摘したらそうやって揚げ足とると逆ギレされた。お前が言ったんじゃボケ。
「習ったことすらわからんとか意味わかんないんだけど」、「自分で調べろって言ったのはお前だろ、自分で調べろや」、「黙れ。黙れっつってんだろ。日本語通じないわけ?黙らないなら家から出て行けや」
中学高校時代のわたしの口癖。
家が嫌いだった。否、父親が嫌いだ。
怒鳴り声が下から聞こえる度に、下のお母さんに「ご飯いまいらない」とショートメール。または寝たふり。
蓄積から徐々に壊れていった。
耐えきれなくなったのは13歳。
入学したての春の持久走の後、初めて目眩を起こした。いつしか過呼吸の一種も出た。耳の不調もあり、元々の頭痛持ちに拍車がかかった。
かかりつけの医師の無駄なユーモア「耳の中に小人がいるね」つまらんこと言うおっさんだなと、少しずつ大人を疑うようになっていった。
徐々にかかる病院が増えていった。原因不明が増えた。
高校生にして胃カメラを飲み、低血圧に拍車がかかり血圧の1番高い時間帯に70/40を、叩き出す。
脳のCTも何回も撮った、何もなかった。
慢性疲労症候群と言われたのはその頃だった。
理系じゃなきゃ大学に行かせないと言われていたのを母伝てに聞いた。心理学を学びたかったがわたしは進路を変えた。とにかく家から出たかった。
本格的に悪化した身体。
1ヶ月登校しない時さえあった。1日中静かに眠る日々。その頃はめまいで歩けばふわふわしていた。生理痛で倒れたり、お見舞いに行って失神したり、今考えれば異常しかない。
先天的な人に好かれる才能に、自己防衛のための努力が結びつき今の人格を形成したのではと、友人と話していてなんとなくそう思った。
異性同性の区別も身体的特徴=戸籍上の性別としてしか捉えておらず、思春期特有の異性を意識するということが起きなかったゆえの人間関係の事故も起きた。いまだに起こしかける。
これだけの記憶を持ち合わせていて、何になるのだろう。キャパオーバーである。
言葉に起こして少しでも緩和されたら、なんて淡い期待を持ちながら。
心の傷とは向き合うか、痛みで誤魔化すかしかまだできない。