2020に置き去りにしたい自分。
好きな人との恋愛の形に一般を求めること。無理して愛の形を追いかけようとすること。
男女関係において普通を意識すること。
そろそろ認めなければ、自分にはできないことがあること。
努力が成功してしまった人生だったから、ゆるされてきた過去しかないから、生きることに全力だったから。
他の人がする努力と違うところで努力を重ねて、レールからとっくに外れていた。
部活を頑張る、受験して偏差値の高い大学に行く、正規雇用で働く、などというハードルはわたしには高すぎて。自分の道を歩くしかなかった。みんなが走ってる時も周回遅れで歩くしかなかった。
それでもみんなのイメージのわたしを守ることが思春期以降の身を守る術であり、そんな自分は楽しくて満足していた。
今だってお酒を飲めば、毒づいて、哲学的な倫理的な話をして、嫉妬されてもめんどくさいなあって済ませて、恵まれている。
恵まれていた故の弊害はアラサー迎えて強く実感し始めた。
止まった時が動いていない、進め方がわからない。
成長過程で発達するはずの、生命をつなぐ行為を受け付けない。
わたしのなかに、恋愛=性 という方程式が根づかない。
そのくせ好きな人の求めることに応えられない自分が悲しくて消えたくなる。努力でどうにかしようとすれば、恐怖心は膨らみ涙が止まらないほど。
好きになることをやめた時があった。
好きじゃなければ諦めがつくことに気づいた。
触られようがなんだろうが、と思って及んだことが期間が伸びるにつれてかえって恐怖を増幅させ、睡眠さえ取れなくなった。ヒトの体温が安心材料じゃなくなった。
できたことさえできなくなった。
2021はわざわざ男の人を知ろうとしないことを目標に。
少なからず友愛が発生してから、知っていく。興味をわざわざ持とうとしない。
危険に踏み込まぬよう、世間をもう少し知れるよう。自分の身は自分で守りながら、一歩引いた距離感で。自分のパーソナルスペース基準で人に近づかぬよう。
交友はやめないし、増やしたいけど。
ちょうどいい形を探しながら。
ゆっくり歩んでいく。
ゆっくり、ゆっくり。